甲州市指定文化財

本水車は、三間四面、東側は寄棟造、西側は切妻造木造建築である。大輪の下部を水路(小屋敷セギ)に直結させた押し車屋で、中には舂臼四台、臼一台がある。水車創立については不明であるが、伝承では江戸時代末期に個人が創設したものを、地域の連30名が譲り受け共同水車として「水車日割表」によって使用した。

一人一昼夜、日の出から日の出まで使用することで運用した。世話人を立て、水車の破損、修理、公課金の支払、お日待ちを行ってきたが、連による維持が不可能となり、昭和43年3月より放光寺が管理することになった。昭和49年屋根替、昭和56年大輪の打ち直しを行った。
  この水車は江戸末期から昭和40年代まで、この地域の産業、生活向上に大きな役割を果たしてきた。従って、山梨県内においても数少ない貴重な民俗資料といえる。また、セギと共に生活していた頃の景観をよく残している。昭和54年に西藤木水車保存会が設立された。
代表は清雲俊元