山梨県指定文化財
本経典は遠州山名郡(現静岡県磐田市)鎌田山医王寺の旧蔵であったが、「放光寺因由書」によると「右大般若経遠州山名郡鎌田山医王寺庫本に候処、天文年中武田信玄公遠州乱入之砌、鎌田山致焼亡、右般若経之儀者其節故有之天文年中より当寺什物二相成候由申伝候」とあることから、天文年間武田氏によって伝えられたと考えられる。従ってこの経典を放光寺にもたらしたのが信虎・信玄のいずれかであろうと思うが、これを遠州と最も縁故の深い安田義定の開基寺に寄進したことは事実であろう。大般若経は建武5年(1338)にはじまり、暦応4年(1341)に中止になり、さらに嘉慶元年(1387)に再開、嘉慶2年(1388)に結願となった。文明15年(1483)に修補している。経典は現在11巻が掛けて589巻が保存されている。