重要文化財

金剛力士像阿形像

金剛力士像吽形像

當寺の仁王門は往古にあっては現在地から南方1キロの武士原(古くは仏師原)にあったと伝える。江戸初期の復興に伴って新しく仁王門を現在の場所に建立、仏師原から金剛力士像2躯を移した。右側の阿形像は総高263.0センチ、左の吽形像は総高264.0センチを有し、共に全身を裸出して腰部に裳をまとい、両躯とも総じて安定した姿勢を保ち、ひかえめな中にも言い知れない忿怒の相を現わしている。とくに吽形像の裳裾があたかも風になびいてまくれあがっているかのように表されているのは珍しく全国に2件同例が知られる。また両躯とも鬢だけを剃り残してもとどりを結いあげている姿は全国に例がない。
  作者については当寺に伝わる「惟肖記」に「南京彫工浄朝」と記されている。この浄朝は、鎌倉時代初頭に奈良を本拠とした奈良仏師の成朝と考えられる。京都を離れて奈良に下り、興福寺の復興につとめた大仏師である。